今日、10月4日は、大阪市立中野小学校では運動会だったようだ。
今、それを思い出した。
少し前の話だが、都島区役所へ仕事で行った帰り、中野小学校の前を通ったのだが、そのとき小学校の生徒が教室の窓から「運動会来て下さい」と声をかけられた。そして、その中の調子に乗った一人が「絶対来いよ~」と叫んでいたのだが、正直、今の今まで忘れていた。
そもそも、大阪市北区の単身者が、都島区の一小学校の運動会に、校舎から声をかけられたからと言ってわざわざ見に行くわけがないだろーが?
校舎から俺に声をかけてきたガキの顔なんて覚えてないし、一人の知り合いもいない運動会で頑張ってる児童を見ても、何ら楽しめるものでもない。
まあ、俺に声をかけた子供たちも、既に俺に声をかけたことそのものを忘れているだろう。
そんなもんなんだよ。で、それでいい。
ここで、運動会について思い出した。
最近、ピラミッドでどこかの学校の問題がYoutubeにアップロードされていた。
その内容は視聴していないのでこれを取り上げることはしないが、俺自身のことを思い出してみよう。
組体操を運動会で披露したのは小学6年生又は中学3年生のときだ。
小学生の頃は、体力にほとんど自信がなかった。
体の大きさで、いつも土台部分を任された。
それが苦痛だった。塔は崩れて、他のクラスのできばえに悔しい思いをした記憶がある。組み体操をするといわれて、数ヶ月で、小学生が劇的な向上を期待できるものでもないのだが、勝手に自分自身重荷を感じていた。そう、悔しさを感じた。
中学3年のとき。やはり、体の大きさから、土台だった。
ピラミッドでは最下段の中心。クラスで一番長身だったしパワーがあったから仕方がない。
小学生のときの悔しさを覚えていた。小学5年のときに師と仰いだ方への思いもあった。
数年の純情な少年の修行の成果はあったのだろう。非才な俺でも、当時の組体操が児戯に等しく感じられた。負荷があまりにも軽すぎた。
当時から数十年。当時の詳細なんて、他の誰かはほとんど覚えていない。覚えていても話題に上ることもほとんどない。
組み体操で悩みを抱えているとしても、君の悩みは時間と共にたいしたことではなくなるよ。