ふと思い出したことhがあるので書きとめておこう。
表題を「法曹への信用性の問題」とした。実際は、岡山地裁で私の叔父が提起した訴訟への調停委員なる者への不信感だ。
もう10年以上前の話になる。だから今はそうではないのかもしれない。
だが、私は思った。岡山県の法曹界って何なんだ?不信感だよ。
事件を解説する。
私の叔父AがBに対して土地を貸していた。しかしBは地代を払わない。そのためAは契約解除土地明け渡しを求め、裁判所に提訴。岡山の裁判所だ。
その岡山の裁判所だが、話し合いで解決できるのではないか?と考えたのか、何かその岡山県の弁護士がなんとか委員として仲裁的に話し合う場に勝手に移行された。裁判官が、面倒くさそうに「・・・・に移行します。」みたいな宣言を、私は傍聴席で聞いた。
Bは代理人として弁護士を付けていた。Sという弁護士だ。この弁護士は、叔父の前の裁判でも相手方代理人となった弁護士だ。
その前の訴訟では、言った言わないの裁判で、言わない側の代理人を勤めたが、その有利な状況にもかかわらず敗訴したという無能を絵に描いたような弁護士だ。
そんな奴が今回も、また相手方代理人という。
しかし、今回話題の手続では、司法委員と称するその弁護士の知り合いが、何か仲裁的なことをする状況だった。
叔父は代理人を立てていない。裁判所はうちの父を特別に代理人として認めた。そうだ。弁護士ではないうちの父を代理人として認めたということは、あれは簡易裁判所であったか。
期日で開始時刻前には、司法委員はSと談笑。そして手続を開始すると叔父に一方的に妥協を迫ってきた。訴外の人間との法律関係の解決も迫られた。
そんな無意味な期日が数回繰り返された。
叔父も父も怒りは頂点に達しつつあった。
「そんなことは頼んでいない。これ以上はいらない。」叔父は激怒。
「相手方代理人が増えただけではないか?」と父。
司法委員は何も言い返すこともフォローすることもできなかったらしい。
そして訴訟は通常の手続に戻り、叔父は全面勝訴を得た。
裁判官の余計な判断も、司法委員の姑息な工作も、自ら裁判所に救済を求めた叔父にとっては邪魔以外の何者でもなかったということだ。
第一義的に救済を求めた方への配慮が必要だろう。岡山の弁護士会なのか司法委員のための特別の研修なのかはわからないが、勘違いはしないでくれよ。